『天気の子』感想。新海は思い出になった。
新海誠監督の最新作、『天気の子』を観てきた。
ざっと感想を。その前に。
前作『君の名は』には裏切られた。
嘘で塗り固められ、観客を気持ちよくすることだけのためにあるような『君の名は』は『星の声』や『秒速5センチメートル』に感動した僕としては、これが新海の作品・・・?と感じたし、また同時にこういう作品で新海誠がやっと売れることに複雑な思いもあった。
だから『君の名は』の次作『天気の子』には期待していたのだ。
新海誠の真価が見れると。
結果的には期待したものとは違っていた。
『天気の子』は『君の名は』の延長だったし、かつて僕が感動した新海作品を観ることはできなかった。
でも『君の名は』ほどショックは受けていない。
多分新海はもう『星の声』や『秒速5センチメートル』に感動した人たち向けに作品を作ろうとしていない。
物語の序盤で前作のキャラクターを別の世界線のキャラとして登場させたのもそうだし、RADWIMPSを続けて起用しているのもそう。
勝手な想像だが、そうすることで「もうあなたたちの望む物語は書きませんよ」というメッセージを投げかけているのだと感じた。
そういうメッセージを受け取れたので、ショックは受けていない。
映画を見終わった後、嫌いだがレビューをちょっと覗いてみる。賛否両論。
低評価の意見に「これが本当に新海のやりたい仕事なのか」というものを見つける。
うん、気持ちはわかる。
でも、もう新海はかつての新海を評価する人たちのために仕事はしないのだ。
だからレビューサイト等で「新海に裏切られた」と書くのは筋が悪い。
今回の作品は30代、40代になってしまった僕らのための作品ではないのだから。
『君の名は』は高校生に多く観られたと聞いた。
今回の作品も高校生や大学生に感動を与えるんじゃないだろうか。
それでいいし、それが多分新海の仕事になったのだ。
だから『天気の子』は良い作品だし、素晴らしい映画なのだ。
もうかつて見た新海の亡霊を追うのはやめよう。
亡霊を求めてレビューサイトで低評価をつけるという醜い所業は大人の行為じゃない。
新海は僕の中で思い出になった。それでいい。