怒り
ふと「怒り」について考えなきゃいけないとか思い始めて「怒り」について考える。
あまり詳しくないけど、地方自治体とか国とかがあまりいいように(効率的に)お金を使っていないようで、日々メディアではその話題が絶えない(らしい)。
そのときにコメンテーターやら野党やらが「国民は怒っているんですよ!」とかいうけど、街に出てもあまりその話題で怒っている人がいないし、本当に怒っている人がいるのかどうかも怪しい。
いや、自分が確認できないだけで何人かはいるんだろうけど、多分多数派じゃないし、そういう人を国民の代表みたいに言うのはどうかと思う。
まあそれは置いておいて、本当に国民が怒っているならなぜ国民は「税金を返せ」とか「税金を安くしろ」とか怒らないのか。国民が怒っているとしたらお金をうまく使えないことじゃなくて、取られた(と思われているであろう)お金の額が脳内に湧き上がってそれについてムカついているんじゃないのか?
なら怒りは当然、うまく使えない政府、自治体に対し「お前ら金使うの下手だから使う額減らしたろか。それで反省せい。」みたいな発想が出るのは当然だと思うんだけど、なぜかそういうことを言う人があまりいないので、多分国民は政府の汚職にあまり怒っていないんだと思う。
天外魔境ziraia レベル上げポイント
ラスダンでの話ですが。
道中に出てくる中ボスが弱いうえに、道を行ったり来たりすれば永遠に戦えます。
しかも経験値を10000以上持っているカモ。
昔のゲームは難しいものが多いですが、こういう優しいポイントを用意しているのは昔のゲームにしては珍しいのでは。
↓こいつが弱い(ゴーモンの霊という名前)
自分が何をしたいかを自分がよく知っているはずがない。
自分の欲求を自分がよく知っているというのは大いに間違っていると思っている。
例えば中華料理が食べたいと思って、いざ食べるとそこまで満足感がなく、洋食のほうがよかったなとか思ったりする。
これは些細なことだが、あらゆる事柄にこのエラーが含まれている。
大学の選択でも就職の選択でも恋愛の選択でも。
あまり自分を過信しすぎて「私はこれが嫌だからこれはやらない」みたいなことはより良い結果を逃しているのではないかと感じる。
つまり主観ではなく客観的なデータとか、ある指針からは絶対に外れないように物事を選択するとかいうことが大事なんじゃないかとか考えているが、本当にこの考えで自分の満足する結果は得られるのだろうか。
損なポジションの話
前から分かっていたことではあるけど、会社でのポジションが損だ。
これは仕事が出来ないとかの話ではなく(仕事が出来なさすぎはつらいが、あまりできない位は得なポジションだと思っている)、中途半端に出来るため、損なポジションに置かれるというのはどの仕事でもありそう。
自分の場合、現在関わっているシステムに一番詳しい人になってしまったため、休みを取ろうにも取れない。ゴールデンウィークもカレンダー通りに出勤するが他のメンバーは10連休にするという人は結構いる。
こういう不公平感は以前からあって以前ならそんなに気にならなかったが、今はストレスになっている。このストレスがこのまま溜まれば多分退職することになるんだけど、今はそのストレスをPCのモニターを殴ることで収めていて、右手が紫色になってきている。
3、4月はアルゴリズム学習期間
家に技術書はたくさんあるが全く読まなく、宝の持ち腐れである。
というわけで1日1時間程度を目標にIT界隈の勉強を行う。
1日1時間?それで何が学べるの?
ええい、うるさい。1日0時間よりはマシだろうが。
3月はもう終わるが4月終わりまではアルゴリズムの学習期間にする。
定番アルゴリズムから自分でアルゴリズムを考えるとかそういうことをやっていく。
とりあえず以下課題図書。
珠玉のプログラミング 本質を見抜いたアルゴリズムとデータ構造
- 作者: ジョン・ベントリー,小林健一郎
- 出版社/メーカー: 丸善出版
- 発売日: 2014/02/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: Anany Levitin,Maria Levitin,黒川洋,松崎公紀
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2014/04/26
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